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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(オ)154号 判決 1983年2月18日

上告人

共栄火災海上保険相互会社

右代表者

高木英行

右訴訟代理人

椎木緑司

椎木タカ

平見和明

被上告人

是方英影

被上告人

是方成子

右両名訴訟代理人

中安邦夫

主文

原判決を破棄する。

被上告人らの本件控訴を棄却する。

原審及び当審における訴訟費用は被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人椎木緑司、同椎木タカ、同平見和明の上告理由第一点について

原審が適法に確定したところによれば、(1) 北橋好文は、昭和五三年一〇月二〇日上告人との間で、北橋が所有する本件自動車につき、保険期間昭和五三年一〇月二〇日から昭和五四年一〇月二〇日まで、自損事故にかかる保険金額を一〇〇〇万円とする本件自家用自動車保険契約を締結した、(2) しかし、本件保険契約には、「保険会社は、被保険者が、被保険自動車の使用について、正当な権利を有する者の承諾を得ないで被保険自動車を運転しているときに、その本人について生じた傷害については、保険金を支払わない。」旨の免責条項(以下「本件免責条項」という。)がある、(3) 北橋は、丸山淳とともに、大工の棟梁益田実の下で働き、昭和五四年五月ころは、施主宅に泊り込んで仕事をしていたが、同月八日、丸山は北橋から本件自動車を借り受け、これを運転して帰宅した、(4) 丸山は、帰宅した夜、是方亮二ら友人数名を自宅に呼んで雑談中、亮二が飲み物を買いに行くため丸山の了解を得て本件自動車を運転中、路外石垣に激突して死亡するという本件交通事故が発生した、というのである。

しかして、原審は、上告人は本件免責条項にいう「正当な権利を有する者」とは記名被保険者に相当する者(記名被保険者、名義被貸与者)を指す旨主張するが、記名被保険者から被保険自動車を借りてこれを使用する者も、一般に同車を使用するについて正当な権利を有する者であることが明らかであるから、記名被保険者が転貸することを禁じて使用を許したというような特段の事情のない限り、借受人の承諾を得て被保険自動車を運転した者は、正当な権利を有する者の承諾を得た者に該当すると解するのが相当である旨説示したうえ、丸山は、本件自動車の所有者である北橋から同車を借り受けたのであるから、同車を使用するについて正当な権利を有するものであり、亮二は、右丸山の承諾を得て本件自動車を運転していたものであるから、本件交通事故は、「正当な権利を有する者の承諾を得ないで被保険自動車を運転しているときに」発生したものとはいえないとして上告人の免責の抗弁を排斥し、上告人に対し保険金の支払を求める被上告人らの本訴請求を認容した。

しかしながら、本件免責条項は、被保険者の範囲を保険契約の当事者が保険契約締結当時通常被保険自動車を使用するものと予定ししかもその者の損害を保険によつて填補するのが相当と思料される記名被保険者及びこれに準ずる正当な使用権限者に限定しようという趣旨で定められたものと解すべきであるから、前記免責条項にいう「正当な権利を有する者」とは、一般的には賠償保険の記名被保険者に相当する者(記名被保険者・名義被貸与者)をいうものと解するのが相当であり、したがつて、記名被保険者から借り受けて被保険自動車を運転しているときにその借受人について生じた傷害については、保険会社は保険金の支払を免れないが、記名被保険者の承諾を得ないで右借受人から転借して被保険自動車を運転しているときにその転借人について生じた傷害については、保険会社は保険金の支払を免れるものというべきである。

そうだとすれば、以上と異なる原審の判断には、本件免責条項についての解釈適用を誤つた違法があるものというべく、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点を指摘する論旨は、理由があり、原判決は、その余の論旨について判断を加えるまでもなく、破棄を免れない。

そして、原審の確定した事実関係に本件免責条項を適用すれば、上告人の免責の抗弁は理由があるから、これと同旨に出て被上告人らの本訴請求を棄却した第一審判決は正当であつて、これに対する被上告人らの控訴はいずれも理由がないものとして、これを棄却すべきである。

よつて、民訴法四〇八条、三九六条三八四条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進 牧圭次)

上告代理人椎木緑司、同椎木タカ、同平見和明の上告理由

第一点 原判決は自家用自動車保険普通保険約款第二章第三条一項三号を不当に解釈適用した違法がある。これが判決に影響を及ぼしたことは明らかであり、到底破棄を免れないものである。

一、右条項には「被保険者が、被保険自動車の使用について、正当な権利を有する者の承諾を得ないで被保険自動車を運転しているときに、その本人について生じた傷害」について、保険金を支払はない旨特約している。これは自損事故条項という契約によつて特に付与した保険であり、一般の不法行為責任や運行供用者責任を担保しているものではなく、特段の趣旨や特約の内容を深く吟味して解釈適用すべきである。災害保険のように不特定の第三者を被保険者とするものでもなく、被保険者の範囲はあくまで特定性の範疇にある者に限定すべきである。

二、本件における記名被保険者は契約者である訴外北橋好文であり、右契約の本質上「被保険自動車の使用について正当な権利を有する者」とは、一般的には賠償保険の記名被保険者に相当するもの(記名被保険者・名義被貸与者)を指すもので、いやしくも賠償責任つまり保有者や運行供用者の範囲より拡張されるべきではない。

「自損事故」とは自己自身が保有者や運行供用者の立場に立つ故に、他に賠償を求めることができない者を限定して、或る範囲の定額に限り保険金を支払う特約であり、右約款第二章第一条一項は、その定義として、「自損事故とは自賠法第三条の請求権が発生しない事故」と規定していることからみても、運行供用者責任の範囲と裏腹にある。

三、記名被保険者は本来所有者自体がなるべきでその例が殆んど絶体多数であるが、所有権留保条項付売買契約による買主や、賃貸借契約により借入れている者等、保険契約締結の際実質的に被保険自動車を使用・管理している者もなり得るが、前記「被保険自動車の使用について正当な権利を有する者」とは典型的・類型的にこれらの範囲内のものを指すものと解すべきである。

つまり保険契約者にとつて保険契約の締結の際、当然使用管理が予定ないし予想された者の範囲である。

一時的・個別的に記名被保険者の承諾を得て、被保険自動車を使用・管理する者は許諾被保険者であり、通常自動車の使用を承諾する場合には、無条件に承諾するのではなく、使用目的・使用場所・使用期間・使用する人などの条件が付されていると考えるべきであるから、転貸の場合などは条件に反していると解すべきである。したがつてこれらの条件に反して使用した者は許諾被保険者にも相当しない。

四、原判決はこれに反し、次のように転借人もまた正当権利者の為承諾者とし、

「しかし、記名被保険者から被保険自動車を借りてこれを使用する者も、一般には同車を使用するについて正当な権利を有する者であることは明らかであるから、記名被保険者が転借することを禁じて使用を許したというような特段の事情のない限り、借受人の承諾を得て被保険自動車を運転した者は、正当な権利を有する者の承諾を得た者に該当するのが相当であり、控訴人主張のように限定的に解釈することは相当でない」

と判示する。この論理を進めて行けば、転借者もまた同車を使用することについて正当な権利を有する者となり、これから借り受けた再転借者も亦正当な権利を有する者の承諾を得た者に該当することになる。更に同様な論理の繰返しによつて、幾らでもその範囲が拡張して行くことになるが、このようなことは到底同約款の予定していないところであり、かゝる解釈の論理自体が誤つていることは明白であろう。

裏腹の関係にある運行供用者の範囲の側からみても、このような転借人や再転借人の責任の事故まで、最初の記名被保険者の事故とはしないであろう。(御庁昭和五三年八月二九日判決参照)

つまり「正当な権利を有する者の承諾を得た者」とは記名被保険者から直接に承諾を得たか、ないしこれに準ずる場合に限るとみるべきである。

五、自損事故特約は自動車損害賠償責任保険(通常の任意の自動車保険)に附帯して契約はするが、これは他人に対する賠償責任を顛補する保険(対人保険)ではなく自己自身の責任で他人にその責任を問い得ないもの、つまり一種の傷害保険的なものである。対物保険に対する車両保険の関係とも対比し得るであろう。あくまで契約上の法律関係である。

つまり契約時において契約者にとつて具体的に明定ないし予定されている者が被保険者であり、また生命保険の場合は最初から指定された記名被保険者ないし受取人のみが受領権利者となる。

このようにして本質上からみても、記名被保険者ないしこれに準ずべき正当使用権限者、及び直接これらからの許諾権限者の範囲のみに限定するのが契約の趣旨であり、免責条項はこの趣旨で規定されていると解すべきである。

六、この点自賠法による強制保険が同法一一条によつて、「同法三条の責任が発生したとき、その保有者の責任、及び運転者も責任を負うときのその運転者の責任を顛補する」旨規定して、当該契約車両につき所有及び使用権限の譲渡による被保険者そのものゝ移転性を認め、免責条項としては保険料の不払等以外はあまり規定していないのとは全く様相を異にする。強制保険がやゝ災害保険に接近した構成をとるに対し、本件保険契約はあくまで任意的・自主的なもので、親族間事故や業務上事故については前者では他人性を認めるが、後者は判然と免責条項により否定されている。ましてや、自損事故条項は附加的・恩恵的なもので、その本質も前叙のとおり生命・傷害保険的であるので、権利・資格・地位の転々譲渡性は認められず、保険者の承諾を得て正規の手続を経た場合のみ認められると解すべきである。

七、若し転々貸与の被保険者性を認めるときは、保険契約当事者の当初予想もしなかつたような事態が発生し、保険範囲や料率に重大な変更を促す結果となり、自動車の管理は杜撰放任の状態となる結果を紹来する。

このことは危険物たる自動車の保管・管理上決して好しい結果ではない。

現に本件の記名被保険者である北橋好文でも、原審の証言供述に、

問「丸山君に車を貸すときに、他人には貸さないようにと言はなかつたのですか」

答「言いません」

問「乗つた人が事故を起してあなたに賠償請求されてもよいのですか」

答「保険を使えばよいと思つています。」

これは保険に入つてさえすれば、車がどんなに又貸しされようと、誰が事故を起そうと関係なく、賠償は保険金で払つて貰えるから、誰が使おうと自由だというような考え方と思われ、あまりにも「甘えの構造」である。これを許したのでは危険物たる自動車の適当な保管々理を期待することは無理であり、却つて事故を誘発する。

八、最近保険保護が徹底し、その逆を突いて保険詐欺的事犯が激増しつゝあり、これが取締りや制禦も亦重要である。「免許のない者でも貸せといえば貸します」とは言語道断である。本件でも乙七号証の如く北橋好文から是方亮二に直接貸与されたという旨の、明らかに真実に反した内容の証明書が作成発行され、これを添えて原告(控訴人・被上告人)は被告(被控訴人・上告人)に対し、昭和五四年五月末頃自損事故に基く保険請求をしたのである。

ところが被告の調査により、右請求及び証明が事実に反することが判明し、このため原告は一旦請求を取下げたが、再び本件訴により請求原因に記載する事実に改めて請求してきたので、極めて危険性の高いものであることを考慮すべきである。

第二点 原判決は経験則に違背し、採証の法則を誤り、事実を誤認した違法があり、これが判決に影響したことは明かである。

一、原判決は理由二の3、(一)ないし(六)で認定事実を記載しているが、特に(五)(六)で

「(五) 北橋は、丸山を通じて訴外亮二と数回会つたことはあるが、訴外亮二の前記自動車の運転については事前に連絡を受けておらず、本件事故発生後にこれを知つた。

(六) 北橋は、丸山が、本件自動車を使用する間、同人の友人に転貸することを予想していたが、これを禁じてはいなかつた。」

とし、更に「乙七号証には北橋が訴外亮二に本件自動車を貸与した旨の記載があるが、右記載は前掲証拠に対比して信用できず」と附加している。

しかしながら保険金請求のためには手段を選ばず、前記のように真実に反した証明書が容易に作成され、かつ提出行使されるような状況にあり、原告等関係者間に容易に通謀し易い状況にもあるから、裁判所としてはその片言隻句に捕れず、できるだけ客観的立場に立ち、冷静に真相を洞察し、大局的に判断して事実を認定しなければならないのに、原判決は同人等の作為的な言辞に弄落され、客観性を失つた判断をしているのであつて、このことは著しく日常の経験則に違背し、採証法則に違背しているのである。

二、北橋は当時広島県安芸郡倉橋町鹿島で、住宅建築に従事していたのであり、丸山等と同所の施主宅に泊り込んで仕事をしていた。

北橋と丸山は同じく棟梁益田実の許で働いていたが、北橋にとつて丸山は下僚であり、事故のあつた昭和五四年五月八日の直前である同年一月に益田の許に弟子入りしたばかりで僅か四ヶ月の交際に過ぎず、しかも運転免許を取つたばかりであつて、しかも「あまり倉橋島には居らん方がえゝ」と云はれた人物であるから、それほど自動車の貸与について、その安全性や管理面について、それほど信頼性がある筈がなく、ましてや未熟な運転手(免許取得直後であり、本件事故の態様が何よりも如実にそれを実証している)に対して事故発生の安全性等を考えるときは、貸付しないのが通常である。貸付するとしても安全運転や転貸の禁止、盗難の予防等について、十二分の注意を与え、条件をつけるのが普通である。

ましてや亮二は未成年者で満一八才に達したばかりであり、このような者が搭乗することをも予定した自動車保険契約は、その保険料が相当多額の割増となり、内弟子に過ぎない右北橋がそのような高率の割増料金を払つてまで亮二の乗車を予定している筈はない。若しそうだとすれば右亮二の運転によつて第三者に生命・身体の侵害その他の損害を与えた場合は無保険状態と同一となり、保険金の支払は拒絶され、全部が自己負担となる(料率に関するメリット・デメリット制導入以来相当年月も経過し、北橋も自動車保険の契約に際し、これらについての選択を迫られるのであるから周知の筈である)。

三、そのようなことを推してまで、同人が供述しているように簡単に人に貸したり、特に亮二のような若い者に貸し、さらに転貸を認めたりこれを予定したりすることは到底あり得ない。

特に右北橋の次の証言供述は非常に間題を包含していることに気付かれないだろうか。

「問 一般的に免許を取つていない者までその車に乗つてもよいと考えて丸山君に帰らせましたか」

答 免許のない者でも貸せと言えば貸します」

つまり無免許者でも誰でも求められゝば誰でも貸す、というのであり、従つて亮二に貸す際でも何時免許を取得したか尋ねもせず、ましてや同人の技倆も確めていないのである。およそ無免許の運転者による事故が本来の保有者にとつてもどのような結果となるかは素人でも容易に判明することである。

従つて真面目に考えれば右北橋のような考え方や証言はできない筈であり、事実本人としてもそのように信じかつ行動した訳ではなかつたであろうが、乙七号証の前記真実に反する証明書を書かされたと同様、原告側からの依頼によつて右のように真実に反する偽証をしたであろうことが、容易に判明し得る筈である。

ましてや丸山淳に至つては、右のように北橋から借りた車を是方に又貸しするについて、

「問 あなたは北橋君の車を良治君にまた貸しするについて抵抗感はありませんでしたか、

答 感じませんでした」

というのであり、さらに事故の当日北橋から「道中気をつけろ」と言はれており、亮二に車を使はせることについて事前の了解は取つていなかつたこと、亮二が運転免許を取つたのは何時か知らず、同人はまだ無免許のとき友達からローレルを借りて乗り廻し、その車は仁方の方に置いて自由に乗つていたことを証言しているが、如何に彼等が車の管理についての概念が稀薄であつたかゞ明白である。

四、証人福島久夫の証言によれば、乙七号証を被告会社から渡され、広警察署の交通課長に当つて尋ねて始めて、北橋が直接是方に貸したのではなく、又貸して、中間者は丸山ということが判明した。

又貸しについては蒲刈フェリーの船員とか、お好焼屋のおばさん、谷口という友達などに当つて調査したところ、所有者の北橋は事故当時そのことを全く知らなかつたし、是方の葬儀の席で「茶椀が割れたが虫が知らせたのかのう」といつたというのである。何れにしても北橋としては丸山が亮二に車を使はせ亮二が死んだ事実は全然知らなかつた。

そうして原告の是方英影に自動車の又貸しの説明をしたところ、三〜四日して本人が被告会社の呉事務所の階下にある喫茶店まで自ら乙八号証の「取下書」持参して渡した。亮二が運転したのはジュースを買いに行つてくるだけだつたとすれば、乙七号証の貸与証明には昭和五四年五月八日午後から、五月一〇日まで貸したように長時間が記載されてあり、不自然で事故後に勝手に作つたものと考えた。

何れにしても右証明書は詐欺的性格の濃いものであり、原告としてはこれが問題となることを恐れ、保険請求を取下げて右証明書を回収したのである。

五、第一審認定事実(理由三の2)中次のような重要事実を原審認定事実は殊更漏脱させているが、その理由を明示せず、かつこの事実は証拠上明白である。

「(3) 北橋好文は昭和五四年五月八日倉橋町鹿島の作業場で、丸山淳が療養中の益田実の車椅子を運ぶので蒲刈に帰るからというので、丸山淳に本件自動車を貸渡したこと、その際北橋好文は丸山淳に、気を付けて本件自動車を運転するようにと注意をしたこと、北橋好文としては、翌日昼過ぎに丸山淳から本件自動車の返還を受けられるものと考えていたこと」

このことは重要な事実であり、北橋としては、主人益田の車椅子を運ぶためというので止むなく丸山に貸したのであり、その期限を翌日昼迄とし、貸す際充分気をつけて運転するように注意してたことからすれば、丸山が亮二に更に又貸しすることは到底予期していなかつたことであり、一審敗訴により原審では証言を作為している点にも留意すべきである。

以上のように原判決は殊更事実を枉げ又は漏脱して認定して一審判決を取消しているのであり、その認定方法は客観性を失い、日常経験則に明らかに違背している。

第三点 原判決は審理不尽、理由不備により重要な事実を看過し、一審判決を取消した違法がある。

一、自損事故条項第一条第一項は、保険会社の顛補責任発生の要件として、

「① 被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故によつて、被保険者が身体に傷害(ガス中毒を含む)を被ること、

② ①により生じた損害について、被保険者に自賠法第三条の損害が発生しないこと。」

の二つを掲げている。これは約款による効力発生原因事実であるから、請求者たる原告(被上告人)らの主張、立証責任に属するところである。

従つて第二の②の要件事実であつて抗弁事実ではない。

しかるに原判決はこの点を全く看過し、請求の構成要件事実として掲げていない。これは明かに理由不備である。そうしてこれについて明白な審理不尽がある。このことは既に第一審における、昭和五五年二月二七日付被告準備書第一項に「自損事故非該当」として主張しているところであるから、裁判所としては進んでこれにより、構成要件の欠缺が主張されていることに気付き、原告に釈明し、その補正がないときは、それ自体で請求を却下ないし棄却すべき筋合である。

二、そうして一審原告本人訊問調書九、一〇、一一項等によると、対向車の存在について、

「私は本件事故後一〇日位して、私の家から五、六軒並びの家の奥さんから、本件事故があつたとき、たまたま子供が泣いたので、窓を明けて子供をあやしながら、外を見て歩いていたら、本件事故現場の方で大きな音がした。それでその現場の方を見たら直接にはその現場は見えなかつたが、大体の感じで対向車らしい車が、その事故現場から三〇m位走つてきた後ユータンしてゆつくり走り去つた。その車は色は分らなかつたが、乗用車であつたと言はれるのを聞いています。

又私は本件事故があつて大分たつた頃、その事故現場の前の主人から「対向車のエンジンの音を聞いた」ということを聞いています。

更に私は、本件事故現場近くの吉岡という家の奥さんから、「亮二が免許取立てゞ、対向車がいたのにセンターラインをオーバーしてハンドルを右に切つたので本件事故が発生したのではないか」と言はれるのを聞いています。

私はそのとき共栄火災の担当者に、本件事故は自損事故ではなく、加害車がいるということを言つています。」旨原告自体が自認供述しているのである。

三、従つて本件事故当時は亮二運転の自動車に対向する車両があつて、亮二がそのために運転を誤り、石井茂美方前の県道の路外石垣に撃突し、頭蓋骨々折により死亡したことは明かであつて、右対向車の運行と亮二の死亡との間には因果関係が存在するから、右対向車の運行供用者は自賠法三条の但書記載の三つの免責要件を悉く立証しなければ、同条本文による責任を免れるものではない。

そうして右運行供用者及び保有者の氏名・住所・登録番号・証明書番号等が判明しないため、その者に対し請求ができないときは同法七一条以下により、政府保障事業による請求ができ、かゝる場合は前記構成第二要件を充足しない。

よつて被告会社は右保障事業の受付の窓口でもあるから、原告に対し充分そのことを話し、請求の手続についても指導したのであつて、このことは原告供述の中で自認している。

たゞ原告としてはそうすることが煩はしく面倒であつたため、手続をしなかつたゞけであつて、これは選択の問題ではなく順序の問題であつて、これは手続の懈怠である。

四、以上のとおり原判決は約款上の自損自己特約の構成要件を理解せず、特にその第二要件については被上告人の主張も立証もないのに弁論主義に反して安易にこれを認め、かつ自らもこれを摘示及び判断をしていない。

これは明確な審理不尽であるとゝもに理由不備であり、しかも重大な漏脱である。このように軽卒な審理と判断が折角勝訴した第一審判決を逆転して敗訴に至らしめたのであり、判決に与えた影響は甚大である。

よつて原判決を破棄し、被上告の請求を棄却されたい。

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